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高森明勅
2023.1.6 08:00日々の出来事

「新年明けましておめでとう」は間違った表現なのか?

昨年、ある雑誌の編集部から、
令和5年1月号に載せる私の原稿に表現上の問題がある、
との指摘を受けた。冒頭の「新年明けましておめでとうございます」
という表現は、「明ける」に「終わる」という意味があるので、
「新年が終わって…」というメッセージになって不適切ではないか、
と言うのだ。

以前、ネット上でもそんな話題を見かけた気がする。

確かに「明ける」には、
「ある期間が“終わって”、次の新しい状態になる」
(『日本国語大辞典』第1巻)とか「期限が“満了”する」
(『広辞苑 第5版』)、「〔その期間が〕“おわる”」
(『三省堂国語辞典 第4版』)、
「ある期間が“過ぎて”次の状態になる」(『岩波国語辞典 第8版』)、
「一定の期間(拘束された状態)が“終わって”
、新しい状態が展開する」(『新明解国語辞典 第8版』)
などの意味もある。 

しかし一方、その用法について
「『夜が明ける/朝が明ける』『旧年が明ける/新年が明ける』
のように、古いものと新しいものの両方を主語にとる」
(『明鏡国語辞典 第2版』)ことが知られている。
これについては、
「前者は現象の変化に、後者は新しく生じた変化の結果に注目していう」
(同)と説明される。

以上を巡り語義に即して少し分析的に整理すると、
「ある期間が終わって」(『日本国語大辞典』同上、以下も同じ)、
「ある期間が過ぎて」(『岩波国語辞典』)、「一定の期間…が終わって」
(『新明解国語辞典』)という意味の方に力点を置く場合は、
「夜が明ける」「旧年が明ける」となり、一方
「次の新しい状態になる」(『日本国語大辞典』)、
「次の状態になる」(『岩波国語辞典』)、「新しい状態が展開する」
(『新明解国語辞典』)なら「朝が明ける」
「新年が明ける」という表現になると一応、対応性を指摘できる。 

同じように「現象の変化」と「新しく生じた変化の結果」の
それぞれに着目した言い方として、「水が沸く/湯が沸く」が
紹介されている(『明鏡国語辞典』)。

「水が沸く」と「湯が沸く」なら、
どちらかにこだわる必要は特に無いだろう
(近年では「湯が沸く」の方が一般的な表現か)。

しかし、新年を迎えていきなり「“旧年”(が)明けまして…」
と言われても、あまり「めでたく」ないのではあるまいか。
他に「年が明ける」という言い方もある。
この場合の「年」について、「新年」と「旧年」の
どちらを意味するかは、人によって理解が違うだろう
(多くの人の感覚では「“湯”が沸く」と同じように「新年」だろうか)。

又「明ける」だけで、「次の年になる」(『日本国語大辞典』)、
「日や年があらたまる」(『広辞苑』)、「新しい年になる」
(『三省堂国語辞典』)、「古い年・月が終わって、新しい年・月になる」
(『明鏡国語辞典』)、「年が改まる」(『岩波国語辞典』)という
意味もある。
だから、主語に当たる「新年」は必ずしも必要ではなかろう。

それでも、1月号用の原稿を書いた時の私の感覚としては、
「新年」という言葉それ自体が持つめでたい響きも、
「明ける」(=「明るくなる」〔『広辞苑』〕、「日がのぼって明るくなる」
〔『岩波国語辞典』〕)という言葉のめでたさも、
どちらも大切にしたいという気持ちがあった。

それでせっかく編集部から連絡を貰ったにもかかわらず、
「明けましておめでとう」でも「新年おめでとう」でもなく、
元の「新年明けまして…」で落ち着いた。

勿論、たとえ間違いではなくても、編集部から指摘が来るような表現は、
読者も違和感を抱く可能性があるので、控えるのが賢明
という考え方もあるだろう。
そこは書き手それぞれの判断になる。
…と、年明け早々、駄文にお付き合い戴き失礼。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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